駐車場整備の変遷 (第5回)「公営駐車場の整備」

駐車場整備の変遷 (第5回)

「公営駐車場の整備」

広報委員会

駐車場整備の変遷の連載も今回で第5回を迎えました。第1回から第4回までは「民間駐車場の整備」について進めてきましたが、我が国の駐車場整備において民間供給分だけでは自動車増加のペースに追いつくことは出来ず、特に都市計画駐車場の整備においては、「公営あるいは準公営駐車場」が果たしてきた役割は非常に大きかったといえます。

そこで、今回は(公財)東京都道路整備保全公社様並びに首都高速道路(株)様より、それぞれの駐車場について、歴史的経緯をはじめ2020年のオリンピック・パラリンピック開催へ向けた 今後の取組などについてご寄稿いただきました。駐車場整備の歴史を別の面から俯瞰したものとして、大変興味深いものとなっております。

尚、前回掲載した第4回記事内の図表「東京都市計画駐車場(路外)整備状況」と併せてお読みください。一層の理解が進むはずです。

駐車場整備における官の役割

公益財団法人東京都道路整備保全公社
事業部長  渡部 義治

 

本連載も第5回目を迎えることとなりました。

前回までは時代の流れを追う形で、純民間駐車場の整備を中心とした駐車場の黎明期から都市政策の観点により都市計画駐車場が整備されるまでを、貴重な資料、データ、写真を取り入れて整理されております。

今回は、第二次世界大戦後の復興から高度経済成長に至るまでの激動の時代を改めて振り返り、都市の復興、発展における公共インフラの整備に付随する機能として公営駐車場がどのような役割を担ってきたか、また、現代において何が求められているかをまとめていきたいと思います。

1.駐車場整備における時代背景

(1)戦後復興の象徴として

第二次世界大戦後の経済低迷期は、1950年(昭和25年)に勃発した朝鮮戦争による特需を機に好転し、所得水準も向上して国民生活は安定してきました。1955年(昭和30年)に は通商産業省(現・経済産業省)が国民車育成要綱案(いわゆる国民車構想)をとりまとめ、これがわが国のモータリゼーションを後押しすることになりました。

戦後、日本の自動車は、商業車を除くと外国車が中心で高価な乗り物と位置付けられていましたが、工業技術の成長の足がかりとするため、国が乗用車の開発・生産計画に関与することにより、「標準的な所得層でも十分に購入できる価格帯」、「家族全員が乗れる一定の居住空間」、「未舗装の道路や坂道登攀などでの一定の走行性能」、「壊れにくく修理しやすい」などの要件を全て満たした低価格、高性能な自動車を自動車各メーカーが開発し、自動車生産台数及び保有台数は飛躍的に向上しました。

(2)東京オリンピックに向けた整備

昭和30年代、都市部への人口集中、モータリゼーションの加速に対応するため、都市のインフラ整備は急務となってきたとともに、1964年(昭和39年)に東京オリンピックが開催されることとなり、来日する選手団、関係者、観客などを迎えるために空港からの交通インフラ、会場周辺の道路整備が必要となりました。

1959年(昭和34年)には首都高速道路公団が設立され、本格的な高速道路の建設が始まりました。工事期間が限られており、用地買収などの関係から川の上を通るルートとするなど当時の苦労が偲ばれますが、その後も拡張が進められ、現在においても重要な交通インフラとして機能しています。このことが、高速道路は東京オリンピックのレガシーとされる所以といえます。自動車保有台数及び走行台数が増加し、道路整備も一段と進展するなか、駐車需要の増加にあわせて駐車場整備の必要性が問われたのもこの頃からでした。

2.駐車場整備に関連する法整備等

(1)首都建設法(1950年(昭和25年)制定)

東京都を日本の首都として都市計画し建設することを定めたもので、首都としての機能を十分に発揮できるよう重要施設の基本的計画が定められました。この計画による事業には道路、上下水道などの各種インフラ整備とともに自動車駐車場整備も含まれていました。

(2)駐車場法(1957年(昭和32年)制定)

この法律は、都市における自動車の駐車施設の整備に関し必要な事項を定めたもので、道路交通の円滑化を図るために都市計画において駐車場整備を行うことができるようになりました。

(3)東京都駐車場条例(1958年(昭和33年)制定)

東京都は駐車場法の施行に即応して条例を制定し、道路と自動車と駐車場との相乗的効率的な都市交通の流通を期する本格的な道路行政に着手しました。

(4)道路交通法(1960年(昭和35年)制定)

それまでの道路交通取締法(1947年(昭和22年)制定)が廃止され新たに施行されたもので、自動車交通の急激な進展に対処して、道路における危険の防止、交通の安全と円滑化、道路交通による障害の防止を目的とし、特に、自動車の路上駐車に関する規定が明確化されました。

(5)都市計画駐車場

都市計画法に定める都市施設の一つとして駐車場整備地区に設置する一般公共駐車場で、その場所に永続的に確保される路外駐車場のことをいいます。

都市計画駐車場は、ターミナル駅周辺など交通が輻輳し円滑な道路交通の確保が必要な場所に計画され、その性格上まちづくりと一体的に整備されることが多く地下街を併設するケースもよく見られました。

昭和通り中央分離帯の麦畑

昭和通り中央分離帯の麦畑

昭和通り中央分離帯の路上駐車場

昭和通り中央分離帯の路上駐車場

(写真提供:共同通信社)

3.東京都における駐車場整備

(1)東京駅周辺の街の状況

昭和30年代に入り、東京都では人口及び産業の集中化により自動車の交通量が急激に増加しましたが、これに対する諸施策の遅れから交通状態は混乱を極めておりました。このことは、国際都市としての発展を目指す東京都にとって一刻の猶予もない大きな問題でありました。当時、東京の玄関口といえば東京駅であり、赤レンガ駅舎のある丸の内・大手町地区は政治経済の中心でもありました。

一方、同じ東京駅でありながら八重洲側は開発が遅れていました。戦後、戦災により丸の内側のレンガ駅舎が消失したため鉄道駅としての機能が八重洲駅舎に一部移転され、日本橋・京橋方面の戦災復興が早かったこともあって急速に発展することになります。そして、百貨店の出店や地下街の整備拡大など、商業地域として賑わいを創出するようになりました。

なお、東京駅八重洲口周辺のまちづくりについては、前回(連載第4回、宮良眞氏執筆) にて詳しく説明されております。

(2)東京駅周辺の道路の状況

この頃、駐車需要に対し駐車場の整備が遅れており、幅員の広い道路は青空駐車場としても利用され、東京駅周辺においても路上駐車が多く行われていました。東京駅八重洲口には、戦後に瓦礫処理で皇居外濠を埋め立てた「外堀通り」、関東大震災の復興事業として建設された「八重洲通り」、「昭和通り」などの幹線道路があります。特に、「昭和通り」は総幅員44m(うち、中央分離帯11m)の道路で、戦中・戦後は広い中央分離帯を畑にして食糧増産に利用されていましたが、モータリゼーションの進展とともに利用形態が見直され、約400台の路上駐車場として利用されるようになりました。また、この道路は幹線道路として自動車交通量が多いだけでなく、他の幹線道路との交差点も多いことから、交通渋滞が多発している状態でした。

(3)都営駐車場の開設

東京都では、駐車場法の制定、東京都駐車場条例の制定に続く、都心部における道路交通の円滑化と駐車難解消の具体策として、都営駐車場を建設することとなりました。当時、成長著しい東京駅八重洲口も駐車場問題が顕著であり、東京駅に接続する八重洲通りのうち、中央通りから昭和通りまでの間の道路下に、地方公共団体としては日本初の地下二層式の公共駐車場として「東京都八重洲駐車場」を1960年(昭和35年)に開設しました。

開設後間もない東京都八重洲駐車場

開設後間もない東京都八重洲駐車場

(4)都営駐車場の整備拡大

慢性的に発生する昭和通りの交通渋滞は、1964年(昭和39年)開催の東京オリンピックに向けて建設予定の首都高速道路1号線への交通量のシフトを考慮しても改善が見込めないとの予測もあって、東京都は主要交差点の立体交差化を検討することとしました。その結果、「昭和通り」と交差する「永代通り」、「八重洲通り」、「鍛冶橋通り」、「晴海通り」、「海岸通り」との5箇所の交差点をアンダーパスで立体化するとともに、その中間部分を利用して4箇所の地下駐車場の建設が計画されました。

都営駐車場としては、既に「東京都八重洲駐車場」が開設されていましたが、この地域において急速に増加する駐車需要に対応するため、「東京都江戸橋駐車場(現、 日本橋駐車場)」、「東京都宝町駐車場」、「東京都新京橋駐車場」、「東京都三原橋駐車場(現、 東銀座駐車場)」の開設を計画したのです。

なお、昭和通りの地下には都営地下鉄1号線(浅草線)の建設も計画されており、これらを同時に施工し東京オリンピック開催までに完成させるという大工事となりましたが、道路交通や周辺への影響を少なくし総工事費の軽減が図れるという大きなメリット がありました。

また、これとは別に、政府による「国有未利用地を駐車場に転用する閣議決定」に基づき、地上開放式駐車場として東京都中野駐車場、東京都三田駐車場が開設されました。

開通した昭和通りアンダーパス(アンダーパス内が新京橋駐車場の入口)

開通した昭和通りアンダーパス(アンダーパス内が新京橋駐車場の入口)

地下駐車場

地下駐車場

駐車場の利用状況

駐車場の利用状況

【昭和30年代に開設した都営駐車場】

昭和30年代に開設した都営駐車場

※中野、三田は、2008年度末(平成20年度末)廃止

4.公営車場としての役割

(1)民間駐車場との比較

一般的に、民間事業者が運営する駐車場では、利益を目的として一定の計画に従った 事業活動(経済活動)が行われます。一方、東京都が設置する公共駐車場は、地域の駐車需要を受け入れて交通渋滞を解消し、道路と自動車と駐車場との相乗的効率的な都市交通の流通を目的としており、利益を追求するのではなく、法令等により決定された内容を実現するものであります。とはいえ、公営駐車場は受益者負担の原則に基づき料金を 支払って利用する公共空間ですので、その公共性とあわせて経済性も有効に発揮する必 要があります。言い換えれば、公共施設として駐車需要の受け入れを維持するために、 経営、財政の健全化が求められているといえます。

(2)都営駐車場の運営・管理

東京都は、地方公共団体として日本初の地下二層式の公共駐車場「東京都八重洲駐車場」の開設に際し、公共の名のもとに企業性、経済性をいかんなく発揮し、弾力性をあわせ持つ事業執行上の運営母体の設立が必要になりました。そして、1960年(昭和35年)、財団法人東京都駐車場協会(現、公益財団法人東京都道路整備保全公社)が設立され、55年以上に亘り都営駐車場の管理運営に携わっています。

管理運営に当たっては、「路上駐車対策を推進し、円滑な都市交通を支持」、「安全・安心・快適な駐車場」、「質を確保した効率的管理の実現」、「駐車場と道路が一体構造であることを踏まえた高度な安全確保」を基本とし、企業や都民の活動を支える都市交通インフラとしての重要な役割を果たしています。

(3)指定管理者制度の導入

都営駐車場の管理運営については、開設以来、東京都駐車場条例の規定に基づき財団法人東京都駐車場協会(現、公益財団法人東京都道路整備保全公社)に委託されてきました。しかし、2003年(平成15年)に地方自治地法が一部改正され、それまで地方公共団体やその外郭団体に限定していた公の施設の管理・運営を、営利企業を含む各種法人や市民グループなどの団体に包括的に代行させることができる制度として、指定管理者制度が導入されることになりました。対象となる施設は、公園、博物館、美術館、ホール、公立病院、福祉施設、駐車場、駐輪場などで、個別の法律等により管理主体が限定されているものを除き多岐に亘っています。

都営駐車場においては、2006年(平成18年)から導入され、公平性、公正性を確保する観点から、公募により管理者が選定されることになりました。東京都道路整備保全公社は、指定管理者制度が導入されてからも指定管理者として継続して選定され、都営駐車場の管理運営を通じて、駐車需要を受入れるとともに、そのフィールドを使って先駆的、公益的な取り組みを行い、都内における駐車場の発展及び改善に寄与しています。また、その取り組みの成果を民間駐車場への普及啓発に努めています。

5.今後の自動車社会との関係

駐車場事業は、都心部における道路交通の円滑化と駐車難解消の具体策としてスタートし、その後、交通の輻輳する場所に大規模な駐車場が計画的に建設されました。特に、昭和30年代頃からは経済成長とともにモータリゼーションが進展し、それに伴って駐車場整備が行われ、大きな成果を残してきました。

しかし、現代社会においてはグローバル化が進み価値観が多様化するなか、公共交通機関の発達による移動手段の利便性向上、自動車保有に係る多額な費用発生などから自動車保有によ るメリットが薄れ、東京都内における保有台数は減少傾向にあります。

また、時代の変化とともに利用者ニーズも多様化し、より目的地に近い場所に駐車したい、より安い料金で駐車したい、入庫待ち時間の無い駐車場に駐車したい、事前に予約がしたい、 多機能化が図られた駐車場を利用したい、サービスの良い駐車場に駐車したいなど、様々な声も多く聞かれます。

自動車技術そのものも進化しています。自動車が自ら運転を制御する自動運転は、東京オリンピック・パラリンピックが開催される2020年(平成32年)の実現に向けて実証実験が行われて います。この様な状況において、駐車場事業者側も利用者ニーズを把握して多機能化や利便性向上を図り、利用向上に向けた取り組みを行っております。ハード面では高効率化された立体駐車システム、ソフト面ではETC車載器を活用した入出庫管理方式なども研究開発されています。

今後も、目まぐるしく変化する業界を取り囲む環境の中で、(一社)全日本駐車協会など関連団体が連携を図り、更なる業界発展のための一層の努力が求められています。

東京都内自動車保有台数(二輪車除く)の推移

東京都内自動車保有台数(二輪車除く)の推移

 (出典:一般社団法人自動車検査登録情報協会)

首都高のもう一つの顔、 都市計画駐車場について

首都高速道路株式会社
取締役 大西 英史

首都高速道路は、現在、1日100万台・総延長310㌔余りとなり、首都圏の重要な交通インフラとして重要な役割を担っておりますが、その始まりは、東京オリンピック開催に向け、『羽田空港と各種競技施設、特に、メイン会場の国立競技場』を結ぶ整備計画がスタートでしたが、 後の都心環状線を構成する路線の建設に合わせ、都市計画駐車場計画も立てられました。

前回の八重洲地下街株式会社の宮良様の内容と重複する箇所もありますが、首都高独自の視点からご説明したいと思います。

1.首都高 都市計画駐車場の計画(高速道路との一体整備計画)

東京都内の交通事情は悪化の一途をたどっていましたが、それは道路整備が交通需要に追いつかないだけではなく、慢性的な駐車施設不足から路上駐車が増えていることにも一因がありました。そこで、東京都は、昭和26年ごろから都内の交通や駐車などに関する各種の調査を始め、また、国においても、昭和26年「特殊建築物その他の大規模の建築物内自動車車庫の設置について」の通達を出したことに続き、昭和32年5月、駐車場整備地区の制度を設けること等を定めた「駐車場法」の制定につながりました。

これらを契機に、東京都は昭和33年11月、都心駐車場整備地区として1,411haを指定、併せて駐車場設置計画を発表しましたが、その基本方針はおおむね次のようなものでした。

[基本方針]

⑴都市計画路外駐車場の整備を主体とする
⑵誘導距離は500m圏として、中規模のものを分散的に配置する
⑶建設用地については、道路、公園の地下など公共用地の立体的活用を図るほか、高速道路下を利用する(これこそが首都高のもうひとつの顔、駐車場の始まりです

この基本方針と並行して、東京都は昭和33年12月、都内の交通及び駐車等に関する予備調査などに基づき、東京都市計画地方審議会に東京都市計画自動車駐車場の追加について付議しました。このうち、汐留及び江戸橋(兜町)の各駐車場については、昭和34年8月の同審議会で原案どおり可決されました。

首都高(当時は、首都高速道路公団)では、高速道路の建設と並行し、先に東京都が計画した 路外駐車場を含め、収容台数約2,000台、事業費50億円の規模で都心部に5箇所(汐留、兜町、本町、白魚橋及び千駄ヶ谷)の路外駐車場を計画しました。これらの駐車場は都心部駐車場整備地区内の路外駐車場として、建設必要台数が昭和40年までに約1万台に達するとの予測に基づき、その役割を担うべく首都高が約2,000台に相当する駐車場を事業として進めることとなりました。

この5箇所の駐車場は、昭和39年開催予定の東京オリンピックに向けて急ピッチの整備が求められていた高速道路(羽田空港~国立競技場)と一体構造として計画されているのが特色で、高速道路が主として河川及び拡幅街路などの公共用地を利用しているため、駐車場も河川埋立地や拡幅街路の地下又は高速道路下(高架下)などに設置され、これにより都市空間の立体的な利用を図ったものでした。

首都高のネットワーク整備状況

首都高のネットワーク整備状況[都心部から郊外への放射路線の整備へ]

2.首都高 都市計画駐車場の建設

5箇所の都市計画駐車場建設は、昭和35年度の汐留駐車場から、兜町、本町、白魚橋及び千駄ヶ谷の各駐車場の建設に次々と着手し、見事、東京オリンピック開催までにすべての駐車場が完成しました。

首都高の都市計画駐車場の特徴としては、これら5箇所の駐車場が、いずれも首都高速道路の高架下を利用しただけでなく、次のような駐車場です。

⑴汐留、兜町、白魚橋の3箇所の駐車場は、河川を干拓した跡に造られたもの
⑵千駄ヶ谷駐車場を除く4箇所の駐車場は、鉄筋コンクリート造で、地上又は地下の1~2層に立体化され、効率的な駐車場形式に造られたもの

駐車場内は、駐車室、車路、控室、食堂のほか、事務室、機械室が設けられ、また設備として照明、通信設備、換気設備、自家発電、洗車設備等があります。特に、安全・防災面には力点を置き、避難階段や防火シャッターを設置し、駐車室天井に泡消火設備を張りめぐらすなど、各種の防災設備を整え万全を期したものでした。

首都高 都市計画駐車場一覧

◆首都高 都市計画駐車場一覧◆

※収容台数は営業開始当時の台数

3.首都高 都市計画駐車場の管理・運営

[直営管理から子会社管理へ]

昭和37年1月、汐留駐車場が営業開始して以降、兜町、本町、白魚橋と順次、都市計画駐車場の営業開始を遂げ、昭和39年8月、5番目の千駄ヶ谷駐車場の営業開始を迎えました。これにより、首都高が経営する駐車場は、5箇所、収用台数2,145台となり、都心部の駐車場難の解消に大きく寄与することができました。

汐留・兜町・本町の3箇所の駐車場は、営業開始当初から長らく管理組織を駐車場ごとに設け、首都高が直接管理・運営する方式を採用し、また、白魚橋・千駄ヶ谷の2箇所の駐車場は、営業開始から民間委託していましたが、平成25年7月から、子会社が全駐車場の管理・運営にあたっています。

汐留駐車場の竣工式典の様子

汐留駐車場の竣工式典の様子

汐留駐車場の竣工式典の様子[昭和37年1月]

営業開始直後の汐留駐車場の出入り口

営業開始直後の汐留駐車場の出入り口(まだ高速本体は建設中)

[公共駐車場としての駐車料金]

駐車料金は、路上駐車をできるだけ吸収して都心部の道路交通の緩和に寄与するため、基本的には建設費償還が可能な範囲で、可能な限り低額の料金を設定する方針でのぞみ、近隣の民間駐車場との均衡を図る一方、同じ都市計画駐車場の都営駐車場の料金も参考に決定しました。

その推移をみると、昭和37年1月に営業開始した汐留駐車場、その後営業開始した兜町駐車場、本町駐車場及び白魚橋駐車場は、当初、昼間30分50円、夜間1時間25円でスタートし、その後、昭和39年夏に、昼間30分50円、夜間1時間50円としました。また、昭和39年8月、最後に営業開始した千駄ヶ谷駐車場は、昼間30分40円、夜間1時間40円でスタートしました。

[参考]平成28年3月現在、5箇所の駐車場 全て30分210円

また、お得意様のご利用のために、回数駐車券(現在、回数駐車券は終了しており、プリペイドカードとなっています)及び定期駐車券制度も採用しました。特に、定期駐車券は、昼間、夜間及び全日だけでなく、汐留駐車場は、付近に築地市場があるため、市場関係者のご利用が多く、ご利用のお客様からのご要望にお応えし、市場時間に合わせた(深夜から昼前まで)定期駐車券も発行しています。

兜町駐車場の収受及び駐車場内

兜町駐車場の収受及び駐車場内

兜町駐車場の収受及び駐車場内[駐車している自動車が時代を感じさせます]

4.首都高 都市計画駐車場のニーズの変化

日本社会の成長に合わせ、順調かつ安定的な経営を続けてきましたが、バブル期を境に企業のコスト意識の高まりとともに社用車の保有が減少、徐々に定期駐車券の利用が下降をたどっています。更に、都心部の公共交通機関の充実・若者の車離れ、周辺再開発ビルの付帯駐車場の整備、また、近年は、リーマン・ショック、東日本大震災の影響があり、以前のような駐車台数を確保することが難しくなってきており、駐車場経営の周辺環境は厳しいものとなっています。

そうした状況下でも、都心部の再開発工事が大規模、かつ、長期間にわたり行われており、そうした工事関係車両の需要を積極的に取り込み、また、自動二輪車の駐車サービスの開始、 周辺の百貨店などとの提携、駐車場内に「コンビニエンスストア」や「コーヒーショップ」を併設するなど、お客様ニーズへの柔軟な対応をすることで、駐車台数の確保につなげようと悪戦苦闘中です。一方、年々進んでいる自動運転技術により、自動車の自動運転が本格的導入との時代になった暁には、思いもしなかった営業スタイルが求められる、そんな時代がすぐそこまで来ているのかもしれません。

5.首都高 都市計画駐車場のこれから

前回(1964年)の東京オリンピックに向けて整備が進められた『首都高の都市計画駐車場』ですが、営業開始から50年以上が経過し、駐車場内の施設も定期的なメンテナンスだけでなく、抜本的な施設更新が必要になってきました。

現在、首都高では、次(2020年)の東京オリンピック・パラリンピックに向け、更には、その先の50年を見据え、各種施設のリニューアル計画が進行中です。首都高では、『安全・安心にご利用いただける駐車場』を目指し、これからも都市計画駐車場の使命を忘れず営業を続けていきます。