海外研修レポート 平成26年 ニューヨーク編

静岡委託商事有限会社
望月浩之

10月19日(日)

アメリカ合衆国の首都ワシントンDC・フィラデルフィアで歴史・文化・政治を見聞した私たちは研修の最終目的地であるニューヨーク(以下NY)にバスで移動。

目指すマンハッタン島は、ハドソン川、イースト川などに囲まれた幅約4km、長さ約20kmの細長い形状をした面積58.8 km²(東京の山手線の内側とほぼ同じ)で1枚の岩盤から構成されています。更に世界中から観光客をひきつける五番街やタイムズ・スクエアなどの繁華街、世界を代表する金融街のウォール街などがあります。マンハッタンは、ニューヨーク市の中心であり人口は約160万人。イタリア系やユダヤ系、中国系、プエルトリコ系など多くの人種が混在する街であり、「人種のるつぼ」「ビッグ・アップル」などと称されているところです。

タイムズスクエア

タイムズスクエア

マンハッタン島に入島するには、ハドソン川の下を通るリンカーントンネルを利用します。その先のニューヨーク・タイムズ本社ビル、タイムズ・スクエアを車窓から眺めウエスティンホテルに到着したのは17時でした。ウエスティンホテルは、周囲にタイムズスクエア・ブロードウェイ・五番街などがあり、バスターミナル・地下鉄駅と非常に良い立地にあります。

チェックインを済ませた一行がNYでの最初の夕食に向かったのは、イタリア料理のブリッコ(BURICCO)でした。おいしいお料理に舌鼓を打ちながら世界の経済・金融・流行の最先端 を行くNY視察と連日用意されているオプショナルツアーの話などに会話が弾んでいきました。

ブリッコ外観

ブリッコ外観

食事の後は、オプショナルツアー“夜景ざんまいツアー”が組まれていて参加者は別のバスに乗車出発。ブルックリン橋のたもとなどマンハッタンの外側3カ所から摩天楼の夜景を堪能してNYの夜を満喫しました。この日は、前日までの温かい陽気から気温7℃と今年一番の冷え込みとなりNYの冬の訪れも体感することができました。

ホテルに戻りウエスティン自慢の“ヘヴンリー・ベッド(Heavenly Bed)”で明日からのNY視察に期待を膨らませつつ眠りにつきました。

ブルックリン橋(夜景)

ブルックリン橋(夜景)

10月20日(月)

NY2日目は、アメリカンスタイルの朝食を食べて8:30ロビー集合出発。

最初に目指したのは、マンハッタンの沖合い、ニューヨーク湾に浮かぶリバティ島に立つ巨大な女神像。バッテリーパークからフェリーに乗船し15分程で到着します。船上から見るマ ンハッタンの街並みと自由の女神。私だけでしょうか?思わず「アメリカに行きたいかぁ ~!」と福留アナウンサーの声が聞こえてきたのは・・・。

バッテリーパーク

バッテリーパーク

①自由の女神

アメリカ合衆国独立100周年を記念して、独立運動を支援したフランスから贈呈され、1886年に完成しました。自由と民主主義の象徴であるとともに、19世紀以来世界各 地からやってくる移民にとって新天地の象徴ともなっています。1984年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されました。アメリカ側の台座建設では、資金調達が難航。優れた報道写真に授与される「ピューリッツァー賞」で名高い「ニューヨーク・ワールド」紙社主のジョーセフ・ピューリッツァーが紙上で「フランス民衆からアメリカ民衆に贈られた女神像を我々の手で完成させよう」と訴え、僅か5セント・10セントの募金をした全員の名前を紙面に掲載するアイデア(クラウドファンディングの始まりといえる手法)で10万人以上の協力者を集め、無事に完成させることが出来ました。これを契機に15,000部だった同紙を100万部の大新聞に成長させ「新聞王」と呼ばれることになりました。

30分程“ふくよかな?”女神の足下で過ごした一行が帰路立ち寄ったエリス島は、現在のアメリカの40%にあたる人の祖先がここから入国したと言われている「移民の島」でした。

自由の女神とマンハッタン

自由の女神とマンハッタン

②エリス島

1892年にこの島に設けられた移民局では、1954年までの約60年間に1,700万人もの移民が上陸しました。移民を乗せた船が到着すると、検査官が船に乗り込み、一般の乗客はエリス島に連行されました。毎日多数の移民が次々と到着するため、島は大変な混雑となり、審査を待つ人々による長蛇の列が続きました。その中には、袴や着物姿の日本人家族も多く見られたといいます。何週間も船に揺られ、たどり着いた地に見た「自由の女神」に、航海の無事を喜び、志気を高めた移民たちが厳しい審査をパスし、無事に入国を許され、この場所からアメリカンドリームを求めて広大なアメリカ大陸のあらゆる地に向かったのです。

エリス島から自由の女神

エリス島から自由の女神

バッテリーパークに戻り昼食に向かう途中、証券取引所近くのボーリング・グリーンに設置された雄牛とご対面となりました。

③チャージング・ブル(Charging Bull)

1989年12月。歴史的暴落をしたニューヨーク株式市場を元気づけるため、彫刻家のModica氏が自費製作し、証券取引所前の「ウォール・ストリート」に勝手に置いてしまうが紆余曲折の末、現在の場所に設置されました。何故、牛かというと金融用語でBull(雄牛)とは、相場が上昇するの意で強気な姿勢のことで雄牛が角を下から上へ突き上げるようにして攻撃することからきたようです。因みにこの牛、金運だけでなく“子宝”にも恵まれるのだとか?

金運を手に入れた私たちの昼食は、アメリカ初代大統領ジョージ・ワシントンが司令官時代だった1783年に退役の挨拶をした場所としても有名なフランシス・タバーン(Fraunces Tave rn)でアメリカンサンドイッチをいただきました。食後は、お店のご厚意で2・3階に併設の博物館を見学させて頂くこともできました。

フランシス・タバーン外観

フランシス・タバーン外観

フランシス・タバーン内部

フランシス・タバーン内部

午後は、マンハッタンの南端部(ロウアーマンハッタン)のウォール街と2001年9月11日アメリカ同時多発テロ事件で世界中が震撼したワールドトレードセンターに向かいました。トリニティー教会前でバスを降りガイドの藤森さんの後に続いて徒歩にて移動。

ここで遅くなりましたがガイドの藤森さんについてご紹介させて頂きます。NY在住20数年。通訳が本業の藤森さんは、語り口が軽妙でとても楽しく飽きさせません。聞いてみれば関西出身だそうです。なるほどと納得しました。

④トリニティー教会

アメリカの国指定歴史建造物にも指定されたニューヨーク最古の歴史を持つ教会で世界で最も裕福な聖公会教会の一つとして知られています。2011年の資料によれば総資産は約20億ドル(約2,100億円)、ハドソンスクエアに約50万㎡の商業スペース、マンハッタンに約1,700坪の不動産を所有しており、不動産からの年間収入1億5,800万ドル、収益は3,800万ドルで聖公会の中で最も裕福な教会の一つです。

トリニティー教会

トリニティー教会

⑤ウォール街

世界の金融・証券市場の中心地です。その名称は、この地に入植したオランダ人が、先住民族や他国の入植者達から身を守るために、丸太で防護壁(ウォール)を築いたことに由来します。周辺には、フェデラル・ホール(アメリカ合衆国議会旧議事堂)・ニューヨーク証券取引所・連邦準備銀行などがあります。また、世界の大手証券会社や大手銀行などが集中しており、その動向は全世界のマーケットに常に大きな影響を与えています。

旧議事堂外観

旧議事堂外観

旧議事堂前記念プレート

旧議事堂前記念プレート

証券取引所外観

証券取引所外観

世界経済の中心街を5分程歩くと急に視界が開ける場所に出ました。そこがグラウンド・ゼロでした。13年前の2001年9月11日(火曜日)にアメリカ同時多発テロ事件で2機の旅客機が2つのビルに突入した場所です。現在は、9.11メモリアルパークとなりビルの跡地は2つの慰霊場、その周りには2,983名の犠牲者(1993年2月26日の世界貿易センター爆破事件の犠牲者6名含む)の名前が刻まれています。

グラウンド・ゼロ再建プロジェクトは、ダニエル・リペスキンドによるマスタープランを基本として6つのオフィスタワーやメモリアル&ミュージアムなどで構成されています。しかし、取り巻く諸問題から復興は計画通りには進んでいないようです。

⑥グラウンド・ゼロ(9.11メモリアルパーク)

英語で「爆心地」を意味する語。

⑦慰霊場(ノースプールとサウスプール)

イスラエル出身の建築家マイケル・アラド氏の作品で「タワー崩壊の残した大きな空洞を喪失の象徴とした」を表現した人工の滝を備えた巨大な人工池。

911慰霊場

911慰霊場

⑧ワンワールドトレードセンター

アメリカ独立年に あやかった高さ 1,776フィート(541m)は、ニュー ヨークで一番高いビルとなりました。8つの鋭角三角形で構成され、ガラス四角柱の角をカットしたデザインとなっています。研修旅行後の11月3日に開業し最初のテナントが入居しました。

911慰霊場とワンワールドトレードセンター

911慰霊場とワンワールドトレードセンター

⑨9.11ミュージアム

8年の歳月をかけて完成し、本年5月に一般公開が始まりました。地上の入口から地下7階まで降りて行くという造りです。入館して先ず目にするのは、24メートルある鋼鉄「三つ又(Trident)」で、ワールドトレードセンターの基礎を形成していたものです。 同時多発テロの後99日間燃え続けたことで、鋼鉄は赤茶けた色に変色しました。最初の展示は、9月11日に何が起こったのかを時系列に沿って教えてくれます。続いて、地下(地下21メートル)へ降りて行く途中に、「生存者の階段(Survivors’ Stairs)」があります。これは、燃え盛るタワーから逃げようとした何百人もの人が使用したコンクリート製の階段です。更に進むと建物の基礎を残した広い空間に、廃墟に最後まで残っていた「最後の柱」が展示されています。

『犠牲となった方々のご冥福と世界平和を祈らせていただきます。』

三つ又

三つ又

生存者の階段

生存者の階段

旧建物構造壁

旧建物構造壁

被災した消防車

被災した消防車

グラウンド・ゼロを出発し市街を車窓より視察しながら夕食会場のギャラガーズ(Gallagher’s Steak House)へ向かいました。実は、このお店2012年の秋に1927年から85年の歴史に幕を降ろして、突然閉店しまったのです。しかし、セントラ ルパーク内のボートハウス・レストランのオーナー Mr.De an Poll氏が買い取り、7ヶ月かけて220席の新ギャラガーズ・レストランに生まれ変わらせ、2014年2月4日に新装開店したのです。もちろんお店のトレードマークである熟成肉を陳列した冷蔵室もそのままだから、以前利用された方にはお店の雰囲気が変わったなと思われるのも当然だったのです。

ギャラガーズ外観

ギャラガーズ外観

ヒッコリーの炭火で焼かれたステーキを堪能した後の今宵は、“ブロードウェイミュージカル鑑賞”と“ハーレム・ミッドナイト・ジャズ”でNYの夜を満喫させていただきました。

 

オペラ座の怪人

オペラ座の怪人

マンマミーヤ

マンマミーヤ

ギャラガーズ熟成室

ギャラガーズ熟成室

10月21日(火)

NY3日目も昨日と同じアメリカンスタイルの朝食を食べて8:30ロビー集合出発。

まず向かったのはセントラルパーク。ダコタ・ハウス前でバスを降り、ストロベリー・フィールズと名の付いた小広場を抜け、ジョギングを楽しむ人達の姿を横目にThe Lake(湖)で休憩。ここにあるLadies Pavilion(ビクトリア様式のあずまや)や湖越しの景色がウエディングフォトの撮影スポットなっているそうです。ここからバスに乗車し、ニューヨカーの憩いの場所・セントラルパークをぐるりと周り、メトロポリタン美術館・プラザホテルから五番街を通り抜け、グランドセントラル駅に移動しました。バスを降車して駅構内を視察した後は、国連本部に移動して記念撮影をしました。

国連本部(集合写真)

国連本部(集合写真)

①セントラルパーク

人工的に造られた南北4km、東西0.8kmの面積336ヘクタール(3.2km²)の広さがあり周囲で働き暮らすマンハッタンの人々のオアシスとなっています。

セントラルパーク

セントラルパーク

ザ・レイク

ザ・レイク

レディースパビリオン周辺

レディースパビリオン周辺

②ダコタ・ハウス

ジョン・レノンの住まいで1980年12月8日(満40歳)に玄関を出たところで射殺されたことで有名な高級アパートです。役員会による入居審査基準は、ニューヨークで最も厳しいとされています。歌手のマドンナも入居を拒否されたそうです。

③ストロベリー・フィールズ

ビートルズのメンバーで故ジョン・レノンの記念碑がある”しずく”のような形の広場。人気スポットのひとつで、ジョン・レノンの妻であるオノ・ヨーコのデザインした丸いモザイクの記念碑にはいつも献花が絶えません。

ストロベリーフィールズ

ストロベリーフィールズ

④五番街

セントラルパークの東端をなぞるように南北に走る大きな通りです。この通りを挟んで東側をEast、西側をWestと住所表示することからも、この通りがマンハッタンの中心といえるでしょう。高級ブランド店、高級ホテル、教会などがあり、観光客や黄色いタクシーでいつも賑わっています。

⑤グランドセントラル駅

プラネタリウムを想像させる星座が描かれているターミナルの天井は約38メートルあります。鏡に映しながら描いたため裏返しの星座が描かれてしまいました。これは天球を外側から俯瞰した、神の視点による星座を表現しているのだそうです。駅構内には、数々のショップやレストランなどもそろっています。

グランドセントラル駅

グランドセントラル駅

コンコース

コンコース

コンコース部分天井

コンコース部分天井

⑥国連本部

イーストリバー沿いに立つ「国際連合の本部ビル」で、1945年に世界各国の平和維持と、経済の自立を助けることを目的として51カ国で結ばれた国際機構です。

国連本部

国連本部

昼食は、ウィリアムスバーグ・ブリッジを渡ったイーストリバー沿いにあるイタリアン・レストランのジィアンド・オン・ザ・ウォーター(Giando On the Water)です。マンハッタンの景色やマンハッタン・ブリッジとブルックリン・ブリッジも眺望できます。夜景を見ながら素敵なディナーが楽しめるレストランなのですが昼間の食事もとても良かったです。

午後は、オプショナルツアーのメトロポリタン美術館・ヤンキースタジアムバックステージツアーの各参加者と自由行動組にそれぞれ分かれて充実したNY最終日を過ごしました。

メトロポリタン美術館

メトロポリタン美術館

夕刻ホテルロビーに再集合して夕食会場に移動しました。解団式を兼ねた研修会最後の食事は、ザ・レキシントン・ニューヨークシティ内にある中華料理の名店“ダイナスティー”で行われました。参加者を代表して名古屋駐車協会の庄野会長よりご挨拶をいただきました。続いて伴団長(副会長)のご挨拶では、「皆さんの協力で無事に研修を終えられそうである。初日の IPIとのシンポジウムの成功。天候に恵まれた日程。JTB瀬川氏・永倉氏とガイドの藤森氏に労いと感謝。研修内容を計画立案した企画委員への労いと感謝。今後の協会への協力と会員相互の親睦。」などを話されました。

乾杯から食事が始まり美味しい料理とお酒が進むと各テーブルからは、参加者相互の親睦がより一層深まった様子が伺えてきました。限られた時間ではありましたがアメリカ最後の夜を楽しく過ごすことが出来ました。

ダイナスティー

ダイナスティー(解団式)

ダイナスティー(解団式)

10月22日(水)

朝起きると外は雨が降っていました。アメリカ入国から昨日まで天候に恵まれたことを感謝せずにはいられませんでした。

朝食を食べ8:30ロビーに集合してジョン・F・ケネディ国際空港へ出発。雨のNYを車窓から眺めていると名残惜しい気持ちになりましたが40分程で空港に到着。ガイドの藤森氏ともここでお別れです。

12:30NY発の直行便で飛行時間約14時間かけて日本へ帰ります。

10月23日(木)

日付が変わり予定通りに到着し入国審査を済ませた参加者はそれぞれの家路に着きました。皆様お疲れ様でした。

終わりに

前回の韓国・中国に続いて参加させて頂きましたが今回も実に良く企画・計画されていると感じます。実質6日間の日程にIPIとの国際シンポジウムからアメリカの歴史・文化・政治経済を盛り込んだ内容に加え、参加者の親睦が深まる機会にと食事やオプショナルツアーにも配慮されているなど驚かされます。そして、何より皆様のお人柄がこの研修会が充実する要因と思います。伴団長、小清水副会長、加藤企画委員長と企画委員の方々、黒田常務理事と事務局の方々、参加者の皆様他関係各位に厚く御礼申し上げます。ありがとうございました。